角野隼斗 アップライトピアノ・プロジェクトに寄せて

角野隼斗は、全国ツアー「Reimagine」のすべての公演で、グランドピアノとともにスタインウェイK型のアプライトピアノを使用。そのピアノは、屋根と上前板を取り払い、ピアノの内部が見える状態で舞台上に置かれ、ハンマーと弦の間にフェルト布を挟ませる。私もツアー最終日の公演を聴き、グランドピアノや見慣れたアプライトピアノとは異なる、柔和でどこか懐かしい響きを体験した。
3月31日、角野とピティナによる「アップライトピアノ・プロジェクト~Piano for Myself~」の記者懇親会が開かれ、ツアーで使用したアプライトピアノも披露された。

私が角野の演奏を聴いたのは、彼が中学3年生のころ。ちょうどクラシック音楽とJPOP以外の音楽を初めて知り、ジャズやロック、電子音楽を聴くなど、いろいろなジャンルの音楽に興味を持ち始めた時期だったそうだ。さまざまなサウンドへの好奇心は、いまの彼の音楽活動のベースとなっている。
角野とピティナのこのプロジェクトは、「子どもたちに音楽をつなぐ」をコンセプトとしている。さまざまなジャンルの音楽やその多彩なサウンドを、彼は子どもたちに知ってほしいと言う。

ピアノの発展に、ベートーヴェンが少なからず寄与したことはよく知られている。その後も、ピアノの性能は着実に進化を遂げている。大きなホールでの演奏にも十分に叶う音量や演奏における多様性にも応えられるようなピアノが、いまも次々と世に送られている。
角野も語っていたが、アプライトピアノはグランドピアノの"代替品"とみられがちである。確かに、昨今の住宅事情によっては、グランドピアノの代わりにアプライトピアノを購入するケースは多々ある。これら2つの楽器は、大きさや形だけではなく、アクションやペダルの機能なども異なる。
思えば、古典派やショパンの時代は、現代の大きな喧騒に晒された日常ではなく、人々は静けさのなかで音に耳をそばだて、その音の響きや色合いの変化を楽しんだ。アップライトピアノの響きは、大作曲家の時代の佇まいをとどめていると言っても良い。その一方で、ハンマーと弦の間にフェルトを挟んで弾くことは、内部奏法のひとつであり、ジョン・ケージらも演奏にとり入れていた。聴衆の耳も肥え、新しさが求められるこの時代において、さまざまな表現の可能性を秘めた楽器と言えるかもしれない。

先述の記者懇親会では、参加者による質疑応答の時間が設けられた。
「内部が見えたままの状態で貸し出すのですか」との私の質問に、角野は、「この状態で貸し出すのは僕も不安でしたが、蓋(屋根や上前板)を閉めると面白さが半減するので、アクリル板を作っていただいているところです」と語った。
フォトセッションのあと、私も試弾してみた。専務理事の福田成康が、
「ああいう(角野のような)音が鳴るんだと思って弾いてみたら、鳴らないんですよ(苦笑)」
と述べたように、角野が生み出す柔らかいヴェールに包まれた美しい響きを、私も出すことができなかった。
機会があれば、奏法などのレクチャーをぜひ開催してほしい。

文:道下京子(音楽評論家)

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